知床半島は国立公園に指定されている面積だけでも 38,633 ヘクタールあり、広大な自然を守るには関係行政機関や実働部隊である知床財団の力だけでは限界がある。例えば、世界遺産知床の自然保護活動と情報発信の拠点として、財団が管理、運営する「知床自然センター」は、知床でも人気施設となっており、オープンから 5 年で 50 万人もの人達が訪れていた。
そうした施設の運営以外にも、公園の管理やパトロール、研究調査など、やらなければいけないことは山ほどあるのに、とても手が回らない。そんな状況を救ってくれたのが、まさしくボランティアの力だった。
「知床の自然が好きだから」と全国各地から手弁当で集まってきた人達は、質素な宿舎で共に生活しつつ、知床の自然を現地で支えた。その数は、設立から最初の 10 年で年平均 500 人にもおよんだ。
こうして集まったボランティア達がさらに素晴らしかったのは、与えられた仕事をこなすのではなく、自発的に自分ができる仕事を探し、協力していったことだ。財団とボランティアに共通する熱い思いが原動力となり、知床の地を守る力となった。
ボランティアの活動はそれこそ多岐に渡る。
森づくりの作業では、苗の植え替えや除草などを行なうが、季節ごとにいろいろな作業があり、それらを通じて、知床の自然の保全活動を実感することができる。
来訪者たちに知床の自然や自然保護活動などを知ってもらう普及・啓発活動も、ボランティアに支えられている活動の一つだ。
キタキツネやヒグマなど、野生動物への餌付けが人間や動物自身にも不幸な結末をもたらすということや、知床でなぜ森づくりが必要なのかといったことを訴えようと、単にレクチャーを行うだけでなく、紙芝居などの教材が有志ボランティアの手によって何本も生み出された。
自分の大好きな知床の自然を守りたいというボランティアの思いの詰まった紙芝居は、その後、絵本としても出版され、今でも大切に受け継がれている。
また、日本国内ではあまり馴染みのなかった“観光客も自然を楽しみ・守っていくために投資する”という流れを生み出すきっかけとなった「ネイチャーガイド付きツアー」の試みも、ボランティアの支えがあったからこそ実現できた。
「知床の自然のために何かがしたい」そんな共通の思いでつながれた、知床財団とボランティアの協力関係は、2008 年で 20 周年を迎えた。
Firefox 1.0 は公開から 1 ヵ月あまりで 1,000 万ダウンロードを突破した。そんなブラウザ開発が実現できたのは、「何かおもしろいことをやってみたい」という知的好奇心が、人々を駆り立てたからにほかならない。
実際、Firefox には、著名なトップエンジニア達も参加していた。その背景には、ブラウザがほぼ一社独占状態になり、技術革新が滞るようになってきたことに懸念を抱き、Web の未来を真剣に考える人々が、次の進化を求めてプロジェクトに参画したというのも理由の一つだった。
本来はオープンで、人類共有の資産であるはずの Web のために何かがしたい。そうした思いはさらに拡がってゆき、普段は会社の仕事でプログラムを作っているエンジニア達や、学生、さらに今までプログラミングをしたこともなかった人達までが、プロジェクトに参画した。そして、未来の Web についてのアイディアを熱く議論し、自らの夢を実現させようと働いた。
通常では時間がかかるセキュリティの問題やバグの発見も驚くほど早く行われ、その対応も素早かった。その結果、Firefox に対する評価がさらに高められていった。
Firefox の開発は、中心的な製品開発の部分以外にも、そのすべてがボランティアによって支えられている。思いを同じくする人達が集まり、たくさんのコミュニティも創設された。
ブラウザの印象を決めるインターフェイスのデザインを考えたり、アイコンを作ったり、はたまた、自国語版用にドキュメント翻訳をしたり、啓発活動をしたりと、その内容は多岐にわたる。そして、こうした活動の素晴らしい点は、それらのほとんど全ては、Web と Firefox のために自分でもできる何かを見つけて、自発的に行われているところにある。
例えば、「Shiretoko」というコードネームで開発され、2009 年 7 月に公開された Firefox 3.5 では、ダウンロード開始と同時に、なんと約 70 カ国以上の言語ですぐに使える状態になっていた。新しい Firefox を、自分たちが大切にしている自国の言語で、いち早く使えるようにしたいという思いが、自分たちの力で自国語版の Firefox を作る原動力につながっているのだ。公開後も自国語版はどんどん増え、その数もスピードも、一企業による開発であれば、とても考えられないものになっている。
Firefox 誕生のきっかけにもなったムーブメント。「開かれた Web の世界のために何かがしたい」という思いでつながれた人々の協力関係は、2008 年で 10 周年を迎えた。