知床半島のある北海道には、入植者によって開拓が行われ、農業が営まれてきた歴史がある。その後、社会状況の変化や時代の流れで多くの人々が土地を去って行くが、そこにはまだ多くの自然が残されていた。中でも知床は、日本で最も原生的な自然を持つ地域として、1964 年には 22 番目の国立公園に選ばれていた。
70 年代、日本列島を巻き込んだ開発ブームが訪れると、豊かな自然と、観光地としての資源に恵まれていた知床に、乱開発の危機が迫ろうとしていた。国や省庁の対応を待っているだけでは、この危機を守り切れないと考えた斜里町は、自ら行動を起こすしかないと立ち上がった。当時の町長であった故・藤谷豊氏は、大きな賭けに出ることにした。知床の自然とその未来を、全国の人々の手に託すことにしたのだ。
1977 年 2 月、知床の土地を買い取るための寄付を集める「しれとこ 100 平方メートル運動」を発表。「しれとこで夢を買いませんか」をキャッチフレーズに、知床の大地を愛する全国の人達に募金を呼びかけた。
「しれとこ 100 平方メートル運動」のアイディアは、イギリスのナショナル・トラスト運動にある「1 人の 100 万ポンドより 100 万人の 1 ポンドずつ」という言葉から生まれた。自治体だけでは不可能なことも、熱い思いを持つ多くの人々の力を少しずつ集めることで、不可能を可能にできるかもしれないと考えたのだ。
運動に対する反響は予想以上に高かった。活動開始から 5 年で、運動そのものが国内だけでなく、世界から注目を集め、日本におけるナショナル・トラスト運動の先駆けのひとつとなった。
そして、活動から 10 年目には、この運動の現地業務をはじめとする、知床の自然を末永く守っていく活動を行う実働部隊として財団法人知床財団 (旧名称:財団法人自然トピアしれとこ管理財団) が設立された。全国から寄せられた信頼に応え、知床国立公園の自然環境に関する調査・研究や、自然保護の考えを普及、啓発し、知床の自然を「知り・守り・伝える」を目指した活動組織が、地元発の創意工夫で立ち上げられたのだ。
2006 年 10 月には、羅臼町が知床財団の共同設立者として参画。両町にまたがる半島全体を守る組織として、さらに大きな一歩を踏み出している。
そうして運動から 20 年目を迎える 1997 年には、約 5 万人による 5 億円近い寄付金が集まり、目標のほぼすべての土地の買い取りが完了した。現在は運動の第 2 ステージとして、この土地に自然の生態系を再生するための活動が進められている。
買い取られた土地は、譲渡不能の原則を定めた条例が制定されており、未来永劫を守り続けられることになっている。その敷地内には、「しれとこ 100 平方メートル運動ハウス」という展示施設が設置されているが、なんと壁一面が、運動に貢献した人達一人一人の名前で埋め尽くされており、永久保存されている。
知床は、今や本当の意味で人々の共有資産となったのである。
今やインターネットにはなくてはならない、Web ブラウザが登場したのは、今からほんの 15 年ほど前。最初は文字情報しか表示できなかったが、やがて画像も扱えるようになり、インターネットの世界に革命ともいえる表現力をもたらした。
1993 年、画像入り Web の表示に対応した「NCSA Mosaic」というブラウザが登場し、Web の人気に一気に火がついた。Mosaic の開発者、マーク・アンドリーセン氏は、新しいブラウザを開発しようと Netscape 社を設立し、これがインターネットそのものを飛躍的に普及させる起爆剤となった。今日の Web を支える重要技術の中には、10 年後を見据えて開発をしていたこの頃に生み出されたものも多い。
ちなみに Firefox は、この Mosaic と Netscape の 2 つの DNA を受け継いだ Web ブラウザだ。その後、Microsoft 社も Web ブラウザの開発を始め、それが Windows に付属されるようになると、Netscape は利用者が減り、危機が訪れた。
シェアを取り戻すほどの画期的なブラウザを開発するには、予算も人手もアイディアも限界がある。そこで、Netscape は、大きな賭けに打って出る。なんと Web ブラウザのソースコード (プログラムの中身) を公開すると発表したのだ。このソースコードは、同社が膨大な研究開発費と高い技術力を投じてつくりあげてきたもの。だが、同社はあえてそれを実行し、世界中のプログラマに、一緒に力をあわせて未来の Web ブラウザを開発しようと呼びかけたのだ。
それまでソフトウェアづくりといえば、企業内の限られた社員が、守秘義務の下でつくるのが当たり前だった。Netscape 社の行動は、それまでのソフトウェア開発の常識を覆すもので、周りの反応は賛否両論だった。
しかし、やがて、1,000 人超の賛同プログラマが開発に参加し、新しいアイディアや技術がどんどん集まりはじめた。
こうして、1998 年、世界中の有志でブラウザを共同開発する「Mozilla プロジェクト」が正式にスタートする。
それから 6 年後、この Mozilla プロジェクトから全く新しいブラウザ「Firefox 1.0」が誕生しようとしていた。その日を待ちかまえていた人達は、この新鋭ブラウザ の存在をより多くの人々に伝えようと、ちょっと変わった行動に出た。Firefox 1.0 がリリースされる 2004 年 12 月に合わせ、米 New York Times 紙に全面広告を出すための寄付を集め始めたのだ。
この突拍子もない提案に、1 万人を超える人々から 45 万ドルもの寄付が集まり、キャンペーンはみごとに成功した。全面広告には、寄付をしてくれた人々の名前で Firefox のロゴが象られた。
Web の未来を、企業に任せるのでなく、熱意のある一般の人々が力をあわせてつくれるのだということを示す象徴的なできごとだった。
Firefox は、この時から本当の意味で人々の共有資産となったのだ。
1 万人にのぼる寄付を行った人々の名前で象られた“Firefox”の文字とアイコンが、米国 New York Times 紙に広告として掲載された